http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards195.html, カトリック東京カテドラル関口教会 | -東京都文京区関口にあるカトリック教会です-, 右腕下膊:イタリア・ローマのジェズ教会。切断した際に死後50年以上たっていたにも関わらず鮮血がほとばしったということでも知られる「奇跡」の右腕です。1949年と1999年に日本でも展示されました。, 右足指:スペイン・ザビエル城(ハビエル城とも)。初めての公開時に女性により噛み切られた指の一つ。女性の死後聖パウロ聖堂に返され、その一つがザビエル城に移されました。. ‚¢‹óŠÔ‚É‘«‚ð“Ë‚Áž‚ށB, ã@@20Žž‚ɏo”­Œã4ŽžŠÔ‚قǂŃgƒCƒŒ‹xŒe‚ª‚ ‚Á‚½Û‚ÉŽB‰eB‚±‚Ì‚ ‚Æ‚Í5ŽžŠÔA‹xŒe‚È‚µ‚¾‚Á‚½B. It appears that you have disabled your Javascript. 祭壇の右手に人が集まっている。ここにザビエルのミイラがあるのだろうと思い進んだ。 高い位置に置かれた棺には窓があり、その中に黒いものが見える。単に黒い何かでしかないが、これがザビエルのミイラ。 再び、素朴な疑問。なぜザビエルの右手は切り取られたのか。「ザビエルの右手」で検索したら、けっこう有名なハナシだったのですね。ローマ法王に彼の死を報告するために切り取られたのであるらしい。今でも右手はミイラ化して保管されているとも、ザビエルの遺体が腐食しなかったとも。 ザビエルは1549年、日本でキリスト教を布教するために来日しました。 しかし、その活動の中で、日本全土で布教するためには、日本の文化に大きな影響を与えている中国での布教活動が不可欠と考えるようになります。 その後、1552年9月中国の上川島に到着したザビエルは病を発症。到着から3カ月ほどで死去してしまいました。 ザビエルの死を看取った中国人のアントニオらはその遺体をインドのゴアに船では工房とします。しかしそのままではダメということで、少しでも早く遺体を腐敗させて遺骨に … 1549年、日本にキリスト教が伝えられました。伝えたのはイエズス会の宣教師・フランシスコ・ザビエル。そのザビエルの遺体はミイラ化して現在も保管されているのです。なぜ、ザビエルはミイラになったのでしょうか。 ザビエルのミイラは、触れた人を苦しみから解放するいくつもの奇跡を起こしたといわれます。 現在、ザビエルの遺体はインド、ゴアにあるボン・ジェズ教会に安置されており、10年に1度、棺の開帳が行わ … http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%BC. In order for you to see this page as it is meant to appear, we ask that you please re-enable your Javascript! セント・フランシス・ザビエル師の失われた右腕について解説しています。マラッカのセントポール教会史跡に日本でもおなじみのキリスト教宣教師フランシスコザビエル師の石像が、観光客を優しく見守ってくれている。じっくり観察すると右手がない。 なぜ、ザビエルはミイラになったのでしょうか。また、どこでザビエルのミイラに会うことができるのでしょうか。, 1549年から日本で布教を行っていたザビエルは、日本で布教するためには中国での布教が不可欠と考えるようになります。, ザビエルは1552年9月に上川島に到着しましたが、心身の衰弱が原因で発病。46歳で死去しました。, 上川島は香港の西に位置し、ザビエルが亡くなった9月はかなり暑かったと考えられます。そんな海岸に、しかも乾燥した石灰に覆われる形で納棺されたのがミイラ化の原因でしょう。, しかし、実際にはミイラ化は意図したことではなく、そのままではインドのゴアに運べないといわれてしまったため、遺体の腐敗を早めるために石灰を入れたといわれています。, しかし、その遺体はいつまでも腐らなかったことから、そのことを「奇跡」としているようですが、奇跡なんかではなく当然のことでしょう。, 1553年、ザビエルの遺体はマラッカに移送、1554年から聖パウロ聖堂で一般に公開されました。, その際、女性が右足の指2本を噛み切って逃走したと言われていることから、この時にはザビエルの遺体はすでにミイラの状態にあったものと考えられます。, 現在ザビエルの遺体は通常、インドのゴアにある世界遺産のボン・ジェズ教会に安置され、10年に1度棺が開帳され、一般公開されています。, また、内臓はローマに送られた後、細かく切断され、ヨーロッパの教会や信者に配られたそうです。, 仏教の創始者である釈迦も死後に骨が分骨され、世界各地に五重塔のような仏舎利が建てられていますが、ザビエルの遺体もキリスト教において釈迦の骨のような存在だったのでしょうか。, 一つは、胸骨の一部を寄贈された東京のカテドラル聖マリア大聖堂です。文京区にある一見教会には見えない近代建築がそれです。, 二つ目は、皮膚の一部を寄贈された大分のトラピスト修道院です。男子修道院でクッキーが有名なところです。, トラピスト修道院がある日出町がザビエルに関するイベントに力を入れていることから寄贈に至ったようです。, 修道院の展示室に額に入れて保管されているそうですが、そのサイズは5mm四方と極めて小さなもの。, しかしながら、ザビエルの遺体に接した人は苦しみから解放されるとも言われており、10年に一度インドにまで行くのは難しそうですが、東京や大分にあるのならぜひ一度お目にかかりたいものです。. In order for you to see this page as it is meant to appear, we ask that you please re-enable your Javascript! It appears that you have disabled your Javascript. 【世界一周#17】ザビエルのミイラ 世界一周旅日記 2018.11.30 2019.05.22 せんまさお ドミトリーの同室にめちゃくちゃおしゃべりな人がいた。 日本にキリスト教を伝えた人物として有名なイエズス会の宣教師・フランシスコザビエル。, しかし、その活動の中で、日本全土で布教するためには、日本の文化に大きな影響を与えている中国での布教活動が不可欠と考えるようになります。, その後、1552年9月中国の上川島に到着したザビエルは病を発症。到着から3カ月ほどで死去してしまいました。, ザビエルの死を看取った中国人のアントニオらはその遺体をインドのゴアに船では工房とします。しかしそのままではダメということで、少しでも早く遺体を腐敗させて遺骨にするために遺体の入った棺に石灰を入れたのです。, キリスト教には、生前信仰心が篤かった人は神から選ばれ聖人となり、死後不朽体(インコラプティブル)となるという考えがあるそうです。, 不朽体となると、いつまでも腐敗せず、死後硬直もなく、微香が漂い、しかも体の一部から出血するというのです。, 有名な不朽体としては、「生きている少女」として知られているロザリア・ロンバルドがいます。つい最近にも「瞬きをした」としてテレビで取り上げられていました。, しかし一説には、両親が死後防腐処理を施したともいわれているので、「奇跡」とするには疑問が残ります。, 他にも、ベルナデッタ・スビルーがいます。彼女は生前、聖母マリアに会ったといい、その際ルルドの泉を湧かせたという奇跡が伝えられています。, それはともかく、埋葬から30年後に掘り起こされた際、その遺体は全く腐敗していなかったそうです。現在はフランスの聖ギルダート修道院に安置されていますが、本当にきれいな遺体は、信心深くなくても奇跡を信じたくなってしまうほどです。, しかしながら、ザビエルのミイラはまさに「ミイラ」の姿をしていますので、「不朽体」とは呼べないのではないかと思います。, それに、9月の暑い最中に、乾燥した石灰を棺に詰め、海岸に置いておいたら当然腐敗せずに乾燥が進み、ミイラになるでしょう。, 不朽体ではない!と言い切りたいところですが、一つ不朽体を疑ってしまう奇跡が起こります。, 1614年、ローマのイエズス会総長の命令で右腕下膊が切断された際、鮮血がほとばしったというのです。1614年といえば、ザビエルの死から60年以上が経過しています。, 体の一部からの出血は不朽体の特徴でもあり、やはりザビエルは聖人に選ばれ、不朽体となった!とも考えられるのではないでしょうか。, このことが直接の理由かはわかりませんが、1622年ザビエルは教皇グレゴリウス15世により聖人に列せられたのです。, 通常、この右腕はかつてイエズス会の本拠地があったイタリアローマのジェズ教会の「聖フランシスコ・ザビエル礼拝堂」というところに銀の聖遺物箱の中に入れられて保管されています。, 観光客でも見学ができるようなので、「苦しみから解放されたい」方は一度行ってみてはいかがでしょうか。. Oops! Oops!